ときのそのとき -TOPIC of AGES- 明治大正風俗流行通信

鉄道馬車 てつどうばしゃ (1882/6月)

日本橋を行き交う鉄道馬車

国内に電車が登場する前のわずかな間、軽便な都市交通機関として活躍したのが、馬を動力にした鉄道「鉄道馬車」です。

幕末に日本に持ち込まれた馬車は、明治維新以降、庶民の足として日本各地を行き交うようになっていました。明治2年(1869)に登場したこれらの乗合馬車は、ラッパを吹く馬丁(ばてい)の真似で人気を集めた四代目橘家円太郎の名を取り、俗に「円太郎馬車」などと呼ばれて親しまれていました。こうした乗合馬車は当初、市街地での近距離運行や都市間を結ぶ長距離運行など、幅広く利用されていましたが、明治5年(1871)の鉄道開通以降は長距離の交通機関としての役割を譲ると、主に市街地にその運行を限定するようになっていました。安い料金の乗合馬車は、庶民の足として高い人気を得ていたものの、舗装されていない道を走行するため、ガタ馬車という呼び名もあったほどに振動が激しく、加えて真っ黒に汚れた幌に粗末な車体というのが一般的でした。こうした欠点を補うように、庶民の憧れだった鉄道の乗り心地と、乗合馬車の軽便さを持ち合わせた乗り物として、新たに登場してきたのが鉄道馬車でした。

初の鉄道馬車営業として、明治15年(1882)6月25日に開業した「東京馬車鉄道会社」は、目抜き通りの中央に4フィート6インチの軌道を埋め込み、新橋から上野、浅草を結んで運行を開始しました。安定した軌道走行と定時運行、さらに赤ビロード張のシートを配した鉄道馬車は、乗合馬車に比べると高価で、約2倍程度の差がありましたが、その利便性と乗り心地の良さは比較にならないほどで、乗合馬車を一気に場末へ追いやると、開業半年で110万人、4年後には600万人もの利用者を生む大流行となりました。

これ以降鉄道馬車は、明治20年代から30年代初頭にかけて、日本各地に相次いで開業していきました。しかし明治30年代に入り、敷設された軌道をそのまま受け継いで「電車」が新たに導入されはじめると、鉄道馬車は都市の主要交通機関としての地位を譲り渡し、急速にその姿を消していくのです。

参考資料: 3, 25, 32, 43

Date: 2007/3/17 11:29:10 | Posted by mikio | Permalink | Comments (0)

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